魔法の靴を手に入れてから、3日が過ぎた。 驚くべきことに、私はまだ走っている。
あの「厚底」がもたらす衝撃分散システムのおかげで、膝の痛みという物理的なエラーは排除された。 走ることは、もはや苦行ではなく、日々の楽しみになりつつあった。
水曜日の夜。 仕事を終え、いつものように夜の街を走り、汗だくで帰宅した時のことだ。
ふと、猛烈な好奇心に襲われた。 今日走ったコースは、いつもより少し足を伸ばして、橋の向こう側まで回ってみた。 時間は約25分。今までで一番長く走った実感がある。ペースも快調だった。
これ、ひょっとして5キロくらいいったんじゃないか?
私の肌感覚がそう告げている。 皇居ランが一周5キロだという。今日の疲労感と達成感は、きっとそれに匹敵するはずだ。 もし今日5キロ走れたなら、私はもう初心者を卒業したと言ってもいい。
だが、それを裏付ける証拠がない。 私はシャワーも浴びず、リビングのMacBookを開いてGoogleマップにアクセスした。
文明の利器を使えば、距離なんてすぐに分かる
「距離を測定」機能を使って、記憶にある走行ルートをポチ、ポチ、となぞっていく。 カーブの膨らみや、折り返した場所も忠実に再現する。 そして、画面の下に合計距離が表示された。
『合計距離:2.82km』
……は?
私は画面を二度見した。 2.82km? 嘘だろ。5キロだぞ? 少なくとも4キロはいってるはずだ。 私はムキになって打ち直したが、どうあがいても『2.9km』止まり。
消えた2.1km。 私の体感における「5キロの努力」が、冷徹な地図データによって「半分以下の数値」へと切り捨てられた瞬間だった。
俺の感覚は、ここまで当てにならないのか
愕然とした。 自分の感覚がいかにインフレしていたか。 もし今日、SNSで「5キロ達成!」などと投稿していたらと思うと、ゾッとする。
正確な計測が必要だ。 毎回Googleマップで答え合わせをして落ち込むのは非効率すぎる。 私はその場で解決策を検索した。
『ランニング 距離 計測』
検索結果には大きく分けて二つの派閥があった。 一つは「専用のGPSウォッチを買う」派。 もう一つは「スマホアプリで計測する」派だ。
私は考えた。 GPSウォッチはカッコいい。だが、安くても2万円はする。 まだランニングを始めて数日の私が、靴に続いて時計まで買うのは「形から入りすぎ」ではないか? それに、私のポケットには、既に高性能なGPSとCPUを搭載したデバイスがあるじゃないか。 iPhoneだ。
iPhoneで測れるならいいじゃないか。あるものを使わない手はない
無料のアプリを入れれば、iPhoneが計測機になる。 ただ、問題は「携帯性」だ。 ポケットに入れて走ると、重みでバタンバタンと暴れて邪魔くさい。 手に持って走るのは、落下の危険があるし、何よりスマートじゃない。
そこで私は、あるアイテムにたどり着いた。 「ランニングアームバンド」。
スマホを二の腕に固定するバンドだ。 街で見かける「速そうなランナー」たちは、よくこれを腕に巻いている。 改めて商品画像を見てみると、なんだかすごく「プロっぽい」。
これだ。これを装着すれば、手ぶら感覚で走れるし、見た目も『いっぱしのランナー』に見える
価格は1,500円程度。 2万円の時計を買うのに比べれば、圧倒的なコストパフォーマンスだ。 スマホの画面も確認できるし、音楽だって聴きやすい。 タッチ操作対応のクリアウィンドウ越しにアプリを操作すれば何も問題がない。そう思いながらAmazonで評価の高いアームバンドをポチった。
翌日、届いたアームバンドを左の二の腕に巻いてみた。 黒いネオプレン素材が腕にフィットし、そこにiPhoneがガッチリと収まる。
鏡の前に立ってみる。 Tシャツ、ジャージ、厚底シューズ。そして二の腕にはアームバンド。
……いい。なんかすごく走れそうって感じだ
準備は整った。 これでもう、Googleマップで推測する必要はない。 1メートル単位の正確な記録と、ランナーらしい見た目を手に入れた私は、勝利を確信していた。
この時はまだ、想像もしていなかったのだ。 その「完璧なアームバンド」が、走り出した途端に、私を現実に引き戻す「通知の牢獄」へと変わることを。