ランニング・ロジック 第1章

第9話:急がば回れのロジック。ボロボロの私を救った「頑張らない」という最強の戦略

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急がば回れのロジック

リビングのソファで、私は泥のように動けなくなっていた。 スマホの画面には、YouTubeの再生画面。 サムネイルの男性は、今の私とは対照的に、涼しい顔で微笑んでいる。

半信半疑で再生ボタンを押した。 動画の中のコーチは、まるで私の惨状を見透かしたかのように、穏やかな口調で語りかけてきた。

「皆さん、毎回『ゼーゼーハーハー』言うまで追い込んでいませんか? 実はそれ、初心者には逆効果なんです」

ドキリとした。 まさに今の私がそれだ。心臓が破裂するまで追い込むことが「練習」だと思っていた。 コーチは、ホワイトボードを使って解説を始めた。

「基礎体力がない状態でスピードを出そうとするのは、排気量の小さなエンジンで無理やり高速道路を走ろうとするようなものです」

その言葉に、私はハッとした。 今の私は、心臓や肺という「エンジン」がまだ小さい。 それなのに、無理やりアクセルを踏み込んでいたから、すぐにオーバーヒートしてバテていたのだ。

では、どうすればいいのか? コーチは続けた。

「まずはエンジンそのものを大きくする必要があります。そのために必要なのが、『おしゃべりができるくらいのゆっくりしたペース(ニコニコペース)』で長く走ることです」

ゆっくり走ることで、全身に酸素を運ぶための「毛細血管」が時間をかけて拡張されるという。 それは、体の中に酸素を届けるための「道路網」を整備するようなものだ。

今はまだ道が狭く、未舗装のままだから、酸素というエネルギーが筋肉に届かない。 だからすぐに苦しくなる。 しかし、ゆっくり走ることでこの「道」を広げ、整備していけば、酸素がスムーズに全身へ運ばれるようになる。 結果として、心肺機能というエンジンの性能が底上げされるのだ。

「これを『LSD(Long Slow Distance)』と言います。速く走るための土台作りには、ゆっくり走って、まずは『走ることができる体』を作ることが一番の近道なんです」

目から鱗が落ちるとは、このことだった。 私は今まで、道路も整備されていない悪路で「遅い、遅い」と嘆いていたようなものだ。 順序が逆だったのだ。まずはインフラを整え、エンジンを大きくする。スピードを出すのは、その後でいい。

たいち
たいち

なるほど……。これは『手抜き』じゃない。『効率的なトレーニング』なんだ

サボるわけではない。 「速くなる」という目的のために、理屈にのっとって、あえてペースを落とすのだ。 「楽をして効果が出る」。 効率を愛する私にとって、これほど魅力的な響きはない。

そのロジカルな説明は、数字に打ちのめされてボロボロになっていた私のプライドを救い、心にストンと落ちた。 私が遅かったのは、才能がないからではない。 やり方の順序を間違えていただけなのだ。

***

翌日の夜。 私は再び夜の街に出た。

玄関にある厚底シューズを見る。 昨日は見るのも嫌だったが、今日は頼もしい「相棒」に見える。 「すまなかった。俺の基礎ができていないせいで、お前の性能を活かせていなかった」 心の中で詫びながら、紐を結ぶ。

そして、左手首のスマートウォッチを操作する。 今日から私がチェックすべき数字は変わる。

私は設定画面を開き、メインの表示項目を変更した。 今まで私を苦しめていた「ペース(1km/何分)」や「走行距離」を、画面の隅に追いやる。 代わりに、画面中央に大きく表示させたのは「心拍数」だ。

今回のミッションはシンプルだ。 「心拍数を上げないこと」。 息を切らさず、鼻歌が歌えるレベルを維持すること。 もし息が上がったら、それは「ペースが速すぎる」という警告だ。直ちに減速しなければならない。

たいち
たいち

よし、設定完了

私は深く深呼吸をして、あえて地面をするように、トボトボとした歩幅で走り出した。 今までなら「遅すぎる」と焦っていたスピードだ。 だが、今の私には「正しい理論」という後ろ盾がある。

「ゆっくり走れば、速くなる」

-ランニング・ロジック, 第1章