
データの罠
スマートウォッチが届いたのは、それから二日後のことだった。
黒いマットな質感の箱。中には、無駄な装飾のないシンプルな黒い時計が鎮座している。 私はそれを恭しく取り出し、左手首に巻いた。
いいじゃないか。これでどれだけ早くなったかわかるぞ!
鏡の前で腕を上げてみる。 手首にあるその時計と、玄関にある厚底のシューズ。 装備だけを見れば、私はもう立派な「市民ランナー」だ。 スマホのアプリと連携させ、準備は完了。 これで私のランニングは、曖昧な「感覚」から、正確な「データ」へと進化する。
その夜、私は意気揚々と外へ出た。シューズの紐をきつく締め、時計のボタンを押す。『GPS捕捉完了』のピープ音と共に、画面が計測モードに切り替わる。
よし、行くぞ。記録をとってどんどん自己ベスト更新していくのが楽しみだ
まだ記録など一つもないのに、私は「更新」する気満々だった。先日、あれだけ全力で走ったのだ。きっと私のポテンシャルは高い。学生時代の貯金だって、まだ残高があるはずだ。
私は頭の中で計算していた。 テレビで見る箱根駅伝のランナーたちは、1キロを約3分で走るという。 彼らは選ばれしエリートだ。もちろん、今の私が勝てるわけがない。 だが、私も昔は多少の運動もしていた。 彼らが「3分」なら、全力で飛ばしている私は「4分半」……いや、百歩譲っても「5分」くらいでは走れているはずだ。
3分と5分。その差は大きいが、背中が見えないほどじゃない
そんな皮算用を胸に、私は走り出した。
足は軽い。厚底シューズが「ポンッ、ポンッ」と私を前へ押し出す。 呼吸が荒くなる。心臓が高鳴る。 構うものか。この苦しさは、私が「速く走っている証拠」だ。 夜風が耳元で唸り、景色が後ろへ流れていく。 イメージの中では、私はあのアスリートたちと同じ風を感じていた。
***
1キロ地点。 手首がブルッと震え、電子音が鳴った。 ラップタイム(1キロごとの通知)だ。
私は期待に胸を膨らませて、走りながらバックライトの光る画面を覗き込んだ。 さあ、どうだ。 「04:50」か? それとも「05:10」か?
画面に表示された数字は、私の予想を裏切るものだった。
……は? 私は思わず、走りながら時計を二度見した。
『07:**』
いや、見間違いだ。そんなはずはない。 7分? 3分の倍以上だぞ?
混乱したまま走り続ける。 私の計算式が音を立てて崩れていく。 箱根のランナーが1キロ走り終わった頃、私はまだ半分も進んでいないということか? あんなに涼しい顔で走っている彼らの、倍以上の時間をかけて、倍以上の苦痛を感じながら走っているというのか?
嘘だろ……。こんなに必死なのに?
呼吸はゼーゼーと荒れ、汗が目に入る。 全力に近い努力をしている。
「俺はあっち側の人間だ」と思っていたプライドが、粉々に砕かれた瞬間だった。
2キロ地点。 再び手首が震える。
『08:**』
落ちている。 1キロ目よりもさらにペースが落ちている。 8分台。
愕然とした。 こんなに頑張っているのに。 1キロ目よりも必死に腕を振って、足も前に出しているつもりなのに。 心臓の回転数は上がっているのに、スピードだけがズルズルと落ちていく。
まるで、泥沼の中でもがいているようだ。 努力と成果が反比例していく。 数字は冷酷に告げてくる。**「お前のスタミナはもう限界だ」「それがお前の全力の結果だ」**と。
悔しさがこみ上げてきた。 認めない。こんな数字は私の実力ではない。 私は奥歯を噛み締め、残りの体力を振り絞ってペースを上げた。 心臓が破裂しそうだ。足が重い。 それでも、この惨めな数字をねじ伏せるために、無理やり足を回した。
家に帰り着いた時、私は玄関にへたり込んだ。 時計を見る。 トータルの平均ペースは、箱根ランナーの背中など影も形も見えないような数字だった。
……次は、もっと速く走ってやる。数字を変えてやる
それが、間違いの始まりだった。
***
翌日から、私のランニングは「楽しい運動」ではなく、「データとの戦い」になった。
走りながら、常に時計の画面を睨みつける。 ペースが「7分」を切ろうとすれば「よし、いける」と安堵し、「8分」が見えれば「ダメだ!」と焦ってダッシュする。 景色など目に入らない。風の気持ちよさなど感じる余裕もない。 あるのは、手首の小さな画面に表示される数字に対する強迫観念だけだ。
「昨日の記録を超えなければ」 「ここで歩いたら、平均ペースが落ちてしまう」
仕事と同じだ。 右肩上がりのグラフを作らなければならない。 停滞は許されない。劣化など論外だ。
そして、三日後。 私は限界を迎えた。
会社へ向かう駅のホームで、私は手すりに掴まりながら絶望していた。 体がだるい。鉛のように重い。 太ももはパンパンに張り、階段を降りるだけで膝が笑う。 仕事中も強烈な眠気が襲い、集中力が全く続かない。 明らかに「オーバーワーク」だ。
夜、帰宅して玄関のシューズを見る。 あれほど楽しみにしていた、最初は私を雲の上へ連れて行ってくれた「魔法の靴」が、今は私を責め立てる「拷問器具」のように見えた。
……今日も、走らなきゃいけないのか
義務感。そして恐怖。 またあの心臓が飛び出しそうな苦しい時間を過ごすのか。 またあの現実を見せつけられ、自分の無力さを突きつけられるのか。
時計も靴も買ったのに、たった一週間で私は「走ることが嫌い」になりかけていた。
私は逃げるようにリビングのソファに深く沈み込み、スマホを手に取った。 助けを求めるように検索窓を開く。 この苦しみから抜け出す方法があるなら、なんでもよかった。
『ランニング 毎日 つらい』 『ランニング すぐ疲れる 初心者』
検索結果には、根性論や厳しいトレーニングメニューが並ぶ。 スクロールする指が止まったのは、あるYouTube動画のサムネイルだった。
笑顔で走るコーチらしき男性の写真。 そして、そこに書かれていたタイトルは、数字に追われていた私の常識をひっくり返すものだった。
『タイムが伸び悩むあなたへ。速くなりたければ、まずは“ゆっくり”走りなさい』
……は?何をいっているんだ
ゆっくり走って、速くなる? 何を言っているんだ。 速くなるためには、速く走る練習が必要なはずだ。それがロジックだ。 「ゆっくり」なんて走っていたら、いつまで経っても昨日の自分を超えられないじゃないか。
明らかに矛盾している。 だが、そのサムネイルの男性の笑顔は、今の私にはない「余裕」に満ちていた。 そして今の私には、論理的な正攻法でこれ以上頑張る気力は残っていなかった。
……どういう理屈なんだ?
私は疑い半分、すがるような気持ち半分で、その動画をタップした。